人気ブロガーに倣って2週間毎日ブログを書いてみて感じたこと
雑記ブログとして新たなスタートを切った8/11から2週間が経ちました。
この2週間に14記事を投稿してきたので、1日1記事のペースで公開できていることになります。
やはり平日は帰宅が遅くなり、日付をまたいでからの公開になることもあり、毎日1記事の更新とまではいきませんでしたが、1日1記事ペースはやれば意外とできるもんですね。
正直、最初は平日の夜遅くに帰ってきて、1記事書き上げるなんてとても無理だろうなと思っていましたが、2週間くらいなら気合でなんとかなりました。
あくまで2週間しか経ってないのでこの記事があとで笑いものにならないように今後も気を引き締めていきたいと思います。
ネタが思い浮かばないときこそチャンス
この2週間で本当にネタが思い浮かばない日が何度かありました。
たった2週間でネタ切れ!?
1日1記事ペースで何カ月も書き続けられる人たちがどれだけすごいことかを実感しました。
毎日記事を投稿することはネタが思い浮かばないときでもネタを捻り出すトレーニングになります。
毎日書けというのはこういうことだったんだなと少し納得。
最初の数日間は記事の内容が頭の中である程度明確なイメージになってこないと、本当に今日中に書ききれるのか不安と焦りを感じました。
ところが、何度かネタ切れの苦境を乗り越えると前回もなんだかんだ書ききることができたし、今回もなんとかなるだろうと楽観的になっていきます。
記事をたくさん書いて自信がつくことで心の余裕が生まれ、心の余裕が自由な発想につながると良いサイクル回り始めるのだろうなと思いました。
スターやブクマをつけて頂いた方に申し訳ないので、どの記事が苦し紛れに書いた記事かなんてとても言えません。
でもね、苦し紛れに書いた記事とか、自分としてはイマイチかなーと思ってた記事なんかが意外とアクセス伸びたり、反響があったりしたんですよね。
こういうところを深く分析して記事に反映させていくことが人気ブロガーへの道なんでしょう。
好きなテーマと書けるテーマ
「好きなテーマ」と「書けるテーマ」は別物だと思います。
自分が本当に好きなテーマを書くことが書き続けるコツとどこかで見たような気がしますが、好きなテーマ=書けるテーマではないことがよくあります。
雑記ブログを書くというのは好きなテーマにこだわらず、書けるテーマでたくさん記事を書くことで集客するものだと思っています。
このへんが特化型ブログと雑記ブログの大きな違いかなと思います。
しかし、好きなテーマで書けるネタがあるときは本当に書いていて楽しいのもまた事実です。
楽しいから書き続けるモチベーションを持続できるという理論もわかります。
あとで見返しても楽しく書いたときの記事はいい記事を書いたなっていう満足感があるものです。
このへんの感情をいかにコントロールして、書けるテーマからアクセスのとれる記事を分析していけるかが人気ブロガーになるための秘訣かもしれませんね。
自分の考えを形にしていくことの達成感
ブログなんて書かなくても毎日様々な情報をインプットして、インプットした情報に対する自分の考え、感想というものは沸いてでてくるものです。
しかし、アウトプットをしない考えや感想は沸いては消えを繰り返し、明確な主義、主張として残りにくいです。
毎日いろいろなことを考えてた気がするけど、自分の言いたいことってなんだっけ?って思い返してみるとなかなかまとまらないものです。
ブログを書いてみて初めて、単発に沸いては消えていた自分の思いや主張を整理して、ストーリーとして組み立てるという作業を行いました。
「自分の考えってこういうことだったんだ」って、自分の内面を知るいい機会にもなります。
就活の時に行った自己分析にも通じるものがありますね。
自分の思いや主張を形にしていき、記事にしていくことは非常に達成感があります。
単発な思いや主張をストーリーとして組み立てる作業は言うなれば、パズルのピースを一つずつ埋めていく作業のようなものです。
最終的に筋道の通ったストーリーが出来上がるとパズルが完成したときのような達成感が得られます。
漫然と過ごす時間が少なくなった
ブログを始める前は、漫然と日々を過ごすことが多かったのですが、毎日記事を更新するためには常にネタが転がっていないかという視点で物事を見るようになります。
アンテナ高く、様々なことに興味を持つというのは生きる活力にもなります。
毎日、今日のブログのネタを考えることはネガティブな思考やマイナスの感情に引きずられることの抑制にもつながりました。
例えば、通勤電車の中でも仕事が嫌だなと考えている暇はないのです。
ちょっとした日常がネタになるかもしれないし、ふとした瞬間にバズるネタが思いつくかもしれないのです。
なぜテレビ離れにブレーキがかからないのか?それでも見たいテレビコンテンツとは
テレビ離れが叫ばれる昨今、私も自宅にテレビ自体はあるが少なくとも平日はテレビをつけることすらほとんどありません。
気が付けば暇なときはネットサーフィン、ゲーム、ときどきYoutubeが当たり前になっていました。
これだけ娯楽が増えたんだから、テレビから離れて当然と言えますが、なぜテレビコンテンツが面白くないのか?を真面目に考えてみました。
テレビコンテンツ自体の劣化
まず第一に挙げられるのはテレビコンテンツ自体の劣化いわゆる自滅ですね。
過激なことをやればすぐクレーム、ちょっと言葉選びを間違えればすぐ炎上。
こんな時代だから仕方ないのかもしれませんが、クレームや炎上を恐れた結果、誰からも文句を言われないクイズ番組、グルメ番組、芸能界身内トーク番組に逃げたわけです。
低予算、低視聴率の省エネ番組ばかり製作しているうちに視聴者を他のコンテンツに奪われて、気が付いたらクオリティの高い番組を製作できるだけの体力がなくなってしまったのです。
テレビがやらなくなった過激なネタをYoutuberが放送して儲けているというのが皮肉な話ですね。
芸能人が特別に魅力的な存在ではなくなった
Youtuberを筆頭にネットで活動している素人の活躍が目覚ましく、一部の芸能人が存在価値を落としています。
筆頭は笑いのセンスやトーク力を武器にしてきたお笑い芸人です。
笑いというのは人それぞれ感じ方が異なるものなので、特に素人との差別化が難しいのです。
トークだけ見れば、Youtuberの方が面白いと思う人もいるのではないでしょうか。
それでも中堅、大御所の芸人はネームバリューと固定ファンがいるので、様々な番組に引っ張りだこですが、それにあぐらをかいている中堅、大御所芸人がテレビでつまらない話をすればするほど、テレビ離れは進むでしょう。
一方で、俳優のように特別なスキルを持つタレントは素人との差別化がしっかりしているため、視聴率の低下とは結びつかないと思われます。
映画俳優などを見て、Youtuberやその他素人のほうがいいんじゃないかと思う人はあまりいないはずです。
時間の制約
テレビ番組はどうしても時間の制約に縛られますが、娯楽が多様化した現代に生きる人達は非常に忙しいのです。
放送時間が自分のベストタイミングでなければ、よっぽど気になる番組以外は時間を合わせて見る気が起きないし、1時間テレビに拘束されたくないわけです。
ニュース番組なんてとくにそうですよね。
すべてのニュースが見たいわけじゃない、でも見たいニュースがなかなか始まらないってなったら、ネットで検索したほうが早いってなるのは当然の思考だと思います。
それでもテレビで見たい番組とは
テレビ番組もすべてつまらないと言っているわけではありません。
ネットではなくて、テレビで見たい番組もあります。
スポーツ中継
スポーツ中継はリアルタイム性が命です。
結果を知ってしまったら、コンテンツの価値は大幅に下がると言っていいでしょう。
そういう意味で後からネットで録画放送を観る機会というのはほとんどなく、テレビで観るのが一番と言えます。
今ではサッカーや野球中継ならDAZNという手もありますが、できればスポーツ中継は画質のいい映像で見たいというのが私の意見です。
映画
映画館でお金を払ってまで観たくはないけど、テレビでやっていれば観たいという映画はあります。
また、映画はスポーツと違って結果を知ってしまった後でも面白い作品というのはあるので、2度、3度と同じ映画をテレビで観るなんて機会もあるのではないでしょうか。
特化型の情報番組
何かのジャンルに特化した情報番組は興味がある人には観ていて楽しいですよね。
私はリゾートが好きなので、「世界さまぁ~リゾート」を毎週見ています。
興味はあるけど、急いで知りたいわけではない。
知りたいけど、労力をかけて知りたいわけじゃない。
これくらいのモチベーションだと特化型の情報番組は自分で調べなくてもテレビがまとめて情報提供してくれるので、ありがたいですよね。
特化型の情報番組の敵は特化型のブログなので、そこはテレビの資金力を生かして、素人にはできないような紹介をして欲しいですね。
ネットでは味わえないテレビの良さ
ネットでは味わえないテレビならではの良さもあります。
ネットは一人で見るのに向いていて、テレビは大人数で見るのに向いています。
ネットは誰かとリアルタイムに同じコンテンツを共有して、コミュニケーションをとるのに不向きです。
一方、テレビの場合は誰かとリアルタイムに同じコンテンツを共有して、感想や意見などのコミュニケーションが生まれやすいメディアです。
テレビの良いところはネットの裏返しであり、同じテレビで観れる番組は一つだけなので、観ている人間の興味が多少異なっていてもテレビを通して同じコンテンツを共有できて、コミュニケーションがとれていたわけです。
昔はテレビのチャンネル争いがありましたが、家族で同じ番組を観るというのも大事な家族コミュニケーションの場だったのかもしれないですね。
経験上マジでやって良かったこと、経験上マジでやめとけってこと
最近ネットで流行っている「経験上マジでやってよかったこと」「経験上マジでやめとけってこと」について考えてみた。
経験上マジでやって良かったこと
演劇
大学時代、劇団に入っていました。
劇団は本当に大変です!私の劇団は年に4回ほど公演を行っていましたが、公演1か月前くらいになると週4~5で稽古があります。
また、役者だけやってれば良いわけではなく、小道具・大道具の製作、衣装の用意、ポスターやチケットの製作、広報活動、音響、照明まですべて役者と兼任してやっていかなければいけません。
劇団で活動をしていた頃は春休みも夏休みも演劇の稽古でした。
また、劇団は奇人、変人の集まりです。
私の先輩には決して貧乏なわけではないのに家に電灯がなく、ろうそくの光だけで暮らしている人がいました。
演劇をやると何が良いかというと、声が通りやすくなります。
毎日のように発声練習を行うので、聞き取りやすい話し方ができるようになります。
私は声が通りやすくなったおかげで、社会人になってからスピーチや発表の場で評価されることが多くなりました。
嘘でしょと思うかもしれませんが、スピーチや発表での評価は内容半分、話し方半分です。
内容がしょぼくても声が聞き取りやすいというだけで、いい発表だったと言われることはあるんです。
また、演劇をやっていると人前に立つことに抵抗がなくなるんじゃないかと言われることもありますが、緊張する人は何度舞台に立っても緊張するので、そこは治らないかもしれません。
私は社会人になった今でも舞台本番直前にセリフがすべてとんでしまう悪夢を見ることがあります。
ネトゲ
これは意外と思われるかもしれませんが、大学時代にハマったネトゲは正直やって良かったと思います。
こんなことを書くと真面目に勉強したり、研究をしてる学生さんに怒られそうだけど、大学の4年生から大学院時代までの研究室生活は本当に暇でした。
私の場合は情報科学を専攻していたため、パソコン一台あれば研究は自宅からでもできたという事情もあり、大学に行く必要があるのは週に1~2回のゼミの日くらいだったのです。
一時期はゼミとバイト以外はほとんどネトゲという廃人生活をしていました。
大学の友人4~5人とスカイプで話しながら朝までゲームして、昼まで寝て、夕方になればまたみんながスカイプに集まってくるという毎日でした。
今でも久しぶりに大学時代のネトゲ仲間に会うとネトゲの笑い話に花が咲きます。
社会人になったらもうあんな時間は過ごせないですからね。
みんな暇で明日の心配なんかせずにバカ騒ぎできるって幸せですね。
貴重な大学生活をネトゲに費やして後悔する人は多いですが、私はこれはこれで暇な学生のうちにしかできなかったことなので、やって良かったことだと思ってます。
経験上マジでやめとけってこと
すぐにやめること
やめるのをやめとけ!
もうわけわかんなくなってますが、いろいろ経験したいとかもっと向いているものがあるんじゃないかとか思って、バイトを転々としたり、部活を転々としたりしていた時期がありました。
どれも半年から長くて2年くらい。
辛くて仕方ないことを嫌々続けるくらいならやめたほうがいいですが、なんとなく飽きたからとかあんまり向いてない気がするからとか、ちょっとしんどいからとかそんな理由でやめては新しいことを始めての繰りかえしはよくないですね。
中途半端に語れることが増えるので、一見いろいろ経験して人生経験豊かになったように感じられますが、浅い人間になります。
ある程度、長く続けることで見え方が変わることもあります。
一度や二度壁にぶつかったくらいで向いてないんじゃないかと思って、やめてしまうのはもったいないです。
最初からなんでもうまくいく人なんて滅多にいません。
インドに聖杯は転がっていない。自分探しの行きつく先とは
人はなぜSNSでアピールしたがるのでしょうか?
最近話題のキーワードであるインスタ映え。
メディアでは耳にタコができるほど連呼されています。
Facebookが落ち目になってきた頃、世間では若者はSNSに疲れ始めたなどと言われた時期もありましたが、サービスの流行り廃りこそあれどいまだにSNSは活気があります。
なぜSNSはこんなにも若者の心を掴むのでしょうか?
同質性の高い集団とアイデンティティ
大半の人が小学校、中学校、高校という12年間に渡る同じレールを進み、人生設計がされていきます。
つまり、高校、大学くらいまでは同年代を見渡すとほとんど同じような人生を歩んでいるというわけです。
同質性の高い集団に属する人間はアイデンティティを確立することが難しい。
いわゆる量産型の学生をやって、どこにでもいる冴えないサラリーマンとして人生を終えることに不安を抱いたことは誰にでもあるのではないでしょうか。
若者のSNS人気の秘訣はSNSが最も手軽な自己実現ツールということです。
何者にもなれずに不安を抱く自分をSNSで着飾ることで、なんとなく自分とはどういう人間なのかが形作られることに若者はアイデンティティを感じるのだと思います。
自分探しの旅と聖杯
自分探しの旅と称して、留学や海外放浪を行う大学生は非常に多いです。
自分探しの旅の定番と言えば、インド旅行が有名ですね。
彼らはなんのためにインドに行くのでしょうか?
自分探しとはなんなのか?インドには求めていた何かがあるのでしょうか?
残念ながら彼らが求める聖杯はインドに行っても見つからないでしょう。
せいぜい価値観が変わったと言って、インド旅行の良さを友人に語り、自分の価値が上がったと錯覚するだけです。
もしインドに行って価値観が変わったと言う人が身近にいれば、具体的に何が変わったのかを聞いてみてください。
具体的な内容を答えてくれる人はいないでしょう。
同質社会に疲れた若者と多様化した価値観
昔は多くの若手社員が出世して、給料を上げることを目標としていました。
いい車に乗って、高級時計を買って、いい女と結婚して、マイホームを買うという画一的なステータスが存在したからです。
同質社会がステータスを強要して、みんながみんな同じベクトルの価値観を持っていた時代です。
今はどうでしょうか?適度に働き、給料もそこそこまで上がれば、それ以上は望まないという社員は多いですよね。むしろ管理職は給料以上に苦労のイメージが先行して、敬遠されることも多いです。
偉くなり、富と名声を手に入れることが必ずしも幸せというわけではないという思想をもつ若い世代が増えてきたのです。
ミニマリストや田舎に移住するなど様々なライフスタイルが生まれ、結婚を「しない」という選択肢も世間一般的に受け入れられるようになりました。
マイルドヤンキーの幸せ
マイルドヤンキーとは地元を愛し、地元で就職し、地元で結婚をした若者のことです。
収入は低いが地元の友人ネットワークが強く、友人や家族に囲まれて過ごしているため、富も名声もないが幸福度は決して低くないと言われています。
大企業のように深夜残業、責任、転勤に悩まされる人生よりも、友人や家族に囲まれ、そこそこに働くマイルドヤンキーの生活は今の若者が望む生活そのものかもしれません。
多様化した自己実現方法
同質社会に疲れた若者は成功を目指すことにも疲れたのでしょうか?
そういうわけではありません。自己実現の方法が多様化しただけです。
ブログ、Youtuber、絵師、歌い手、ラノベ作家など自己実現の場が格段に増えたのです。
若者は会社からインターネット上に自己実現の舞台を変え、各々が得意とする表現方法で成功を目指していることには変わりありません。
ゆとり世代、さとり世代は物欲、消費欲は下がったのかもしれませんが、決して無気力になったわけではないのです。
土着文化とホラー表現のグローバル化について
先週の土曜日ひさしぶりにテレビで稲垣吾郎さんの「ほんとうにあった怖い話 夏の特別編2017」を観ました。
子供の頃にホラー、超常現象、都市伝説などのオカルト番組が大好きだった私としては最近はめっきりオカルト番組を放送しなくなったことは寂しいかぎりです。
写真、映像の編集技術の発展とインターネットの普及で、もう昔みたいに信じてもらえないから人気がなくなったんでしょうね。
怖い話のパターンもだいぶ前からネタ切れというかんじで新鮮さがないですよね。
今回の「ほん怖」もどこかで観たような話ばかりでした。
さて、今回は土着文化とホラー表現の関係性について考察していきたいと思います。
ジャパニーズホラーと水の関係性
ジャパニーズホラー映画には水が出てくることが多いことをご存知ですか?
「リング」の貞子は井戸に落とされて死んでいます。
「仄暗い水の底から」も水をテーマにしたJホラーとして有名です。
また、閉めたはずの蛇口から勝手に水が流れ出している描写や水に濡れた女の幽霊などはよく見るパターンかと思います。
これらの描写はJホラー特有であり、日本人は水と恐怖を結びつける特長があるんです。
それは日本が島国であり海に囲まれているということと、昔から水難事故が多かったためと言われています。
津波や洪水による被害、入水自殺など水と死が直結する環境であるがために、水から死を連想するようになったようです。
このように土着文化はその国に住む人間の恐怖心にも影響を与えるのです。
ゾンビと幽霊
古い海外ホラーのほとんどはゾンビが出てくるのに対して、日本のホラーはなぜ幽霊なのでしょうか?
これは宗教の違いです。
キリスト教は最後の審判で死体が蘇り、エルサレムを目指すと信じられているため、土葬が一般的です。
いざ蘇ったときに肉体がなければ、歩くこともできませんよね。
この最後の審判で死体が蘇るところからゾンビ(リビングデッド)のイメージが生まれました。
ちなみにキリスト教圏では死体が蘇ると信じられているため、死後解剖されるということは死よりも恐ろしいことだと考えられていました。
そのため、18世紀のイギリスでは死刑囚への処罰として、死刑執行後に外科医の解剖訓練用に死体を差し出すという法律があったそうです。
日本では昔から火葬が行われてきたため、肉体は残りません。
霊魂という発想はあってもゾンビという発想は生まれてこないわけです。
ホラーのグローバル化
2013年制作のインド・オブ・ザ・デッドはインドで初めて製作されたゾンビ映画です。
作中で土葬文化のないインドでゾンビが出る理由について、「グローバル化だ」と説明するなどネタ満載のホラー映画です。
日本をはじめとする土葬文化のない仏教国にゾンビ映画が輸入されてきたように、ジャパニーズホラーもまたキリスト教国に輸出されています。
ジャパニーズホラーはハリウッドで成功し、Jホラーというジャンルを確立しました。
土着文化からくる特有のホラー表現が海を越えた異文化の人間が観ても同じように恐怖を感じるということがわかったのです。
最近では日本でもゾンビが扱われたり、逆に海外で日本的な呪いや怨念がテーマとなることもあり、ホラー文化はグローバル化したと言えるでしょう。
ホラー表現はトレンドを追う
土着文化が恐怖表現に影響を与える理由は身近でイメージしやすいテーマのほうが追体験しやすいからです。
そのため、ホラー表現はトレンドを追う傾向にあります。
例えば、「リング」はビデオテープを媒体に貞子が現れますが、今の時代ならDVDとかインターネット回線を通ってやってくるのでしょう。
「着信アリ」では携帯電話の着信やメールを媒体に死の呪いをかけられるというものでした。
トレンドを追うことで、多くの視聴者が追体験しやすい作りになっているのです。
馬鹿正直になる必要はない!プレゼンが下手な日本人
先日、社内の職場改善活動の成果発表会で発表してきました。
成果発表用の資料について、先輩からこんなコメントを頂きました。
「おまえもだいぶペテン師だな。0から100を作り上げただろ」
それは違います、私は0から100にはしてません!
私が強く主張したいのは「0から100を作り上げること」と「1から100を作り上げること」は全く違うということです。
そして日本人は1から100を作り上げることが苦手だということです。
嘘とアピールの違い
完全な嘘と成果を良くみせることは全くの別物です。
「0から100を作り上げること」は完全な嘘になりますので、ペテン師と言われても仕方ありません。
しかし、「1から100を作り上げること」は嘘ではありません。
事実に基づき、良い成果をアピールすることの何が悪いのでしょうか?
もちろん、成果の数字を盛ってしまったり、できないことをできると言うのは嘘なのでいけません。
しかし、できないことを積極的にアピールする必要はあるのでしょうか?
都合の悪いことを積極的にアピールする人なんているの?って思われたかもしれません。
いるんですよ、わざわざ聞いてもいないのにプレゼン資料の中で反省を始める人が!
反省なんて、関係者内で勝手にやってくれればいいんですよ。
馬鹿正直な日本人
商談としてのプレゼンと社内の成果発表会は性質が違うから、ある程度反省を語る場があっても仕方ないのではないかと思われる方もいるかもしれません。
確かにプレゼンの性質によっては客観的にできることとできないことを整理するということも大事です。
私は都合の悪い情報を発信することに対して一方的に異議を唱えているわけではないのです。
なんでも馬鹿正直にありのままを伝える必要はないということです。
馬鹿正直で自己肯定感が低い日本人はアピールが下手です。
日本人の大半は中高6年間英語を勉強しているにも関わらず、母国語が英語ではない諸外国に比べてなぜこんなにも英語力が低いと言われてしまうのか?
英語教育の問題や日本のガラパゴス的なビジネススタイルなど様々な要因があるかと思いますが、私は馬鹿正直な日本人の性格と自己評価の低さにも起因していると思います。
日本人は正確な英語が話せるようになるまで英語を話さない人や自分の話す英語が間違っていないか過度に心配する人がまだまだ多いように思います。
自分の英語力に対する自己評価が低いことと馬鹿正直なせいで、英語で話せるかという問いに対する答えがノーになってしまうのでしょう。
できなくてもできるフリをすればいいんです。
海外で日本人観光客に対して、日本語で案内ができることを売りにする現地人スタッフがいますが、彼らの日本語はお世辞にもうまいとは言えません。
申し訳程度の日本語しかできないのに堂々とニホンゴハナセマースとアピールしてくるのです。
最近話題の出川イングリッシュもあんなにひどいのに最終的には伝わってしまうのです。
就活面接とプレゼン
日本の就活面接では、「あなたの短所はなんですか?」という定番の質問があります。
この質問の必勝法は短所のエピソードを最終的にアピールポイントにつなげることです。
なにも考えずにありのままの短所を答えるだけではダメなんです。
短所をどのように乗り越えてきたか、または短所が別の側面から見れば長所になりうるといったようにアピールポイントに変える必要があるんです。
日本の就活を乗り越えてきたサラリーマン達はこれらの基本をわきまえているはずなのに入社と同時にすべて忘れてしまうのでしょうか。
まとめ
プレゼン発表がうまくなるためには様々な工夫があると思いますが、長所や良い成果を前面に押し出すことは基本です。
さらに短所や反省点があればそれが長所に変わるにはどうすればいいかを考え、アピールポイントとして発表してしまえば良いのです。
自信を持って自分の成果を見直してみれば、きっと反省点もアピールポイントに置き換えて発表ができるはずです。
27歳の男がレディースクリニックに行った話
昨日、妻と一緒にレディースクリニックに行き、ブライダルチェックを受けました。
ブライダルチェックとは
ブライダルチェックとは要は妊娠ができる健康体かどうかをチェックするもので、女性だけではなく、男性も検診を行います。
検査項目は下記のようになっています。
ブライダルチェックの検査内容は、通常の婦人科検診の検査項目に加えて、HIV感染症、淋病、性器ヘルペス、梅毒などの性感染症の検査を行います。さらには風疹、B型肝炎、C型肝炎、貧血、肝臓や腎臓の機能などを調べます。
私は今回、血液検査だけ受けてきました。
レディースクリニック潜入レポ
レディースクリニックに男が入るということで、なるべく診察時間ギリギリに行って、待合室で待つ時間は少なくしたいなぁと思っていましたが、初診なので診察の20分前くらいには病院に着いてしまいました。
緊張しながら妻と一緒に病院に入ると、待合室は大混雑!
今更言うまでもないことですが、当然女性以外はいない。
そして、恐れていたことが起こりました。
入った瞬間、待合室の女性から一斉に白い目を向けられました。
もうこの時点で、一刻も早く病院から出たい気持ちでいっぱいでした。
この待合室で待たなくちゃいけないのか・・・と最悪の気分で席に座ろうとすると、受付のお姉さんから救いの言葉が。
「男性の方は下の階の待合室で待っていてください」
助かった!と思い、逃げるように下の階の待合室に向かいました。
下の階の待合室で待つこと30分ほど、なんの説明もなく誰か呼びに来てくれるのかもわからないし、またあの待合室を通らなくちゃいけないのかと思うと不安で仕方がありませんでした。
しばらくすると看護師の方が呼びに来てくれて、感染症の血液検査を行うという簡単な説明を受け、再び診察室に通じる魔の待合室を通ることになりました。
なるべく待合室の女性とは視線を合わさずにまっすぐ目の前だけを見て進み、妻を見つけたので隣に座りました。
採血が終わったらまた下の階の待合室に戻り、会計などはすべて妻に任せて病院を出ました。
男性の精液検査
採精とは「男性の精子を採取すること」です。
主に、人工授精や体外受精、また精子自体の検査などを目的に行われます。
採取といっても「オチンチンにスポイトを突っ込んで吸い取られる」とかそういう痛みを伴うようなものではなく(笑)、いわゆる「マスターベーション」を行うだけです。
そして、クリニック内で、この精液採取を行うために用意されている部屋が「採精室」です。
まあ、呼び名はそれぞれでしょうが、婉曲的に「メンズルーム」という言い方をする場合もも多いようです。
上記のように病院の採精室やトイレで採精する場合もあるそうで、「採精室」とはどんな部屋なのか?噂の通り、採精するための本や雑誌が用意されているのか?など病院での採精事情は男性には気になるものです。
しかし今回私が行ったのがレディースクリニックだったためか、男性の精液検査は自宅で採精して妻が後日病院に持っていくという形で行うようです。
ネタとしてはおもしろくない展開になってしまいましたが、病院で採精というのもキツイのでちょっと安心しました。
男性不妊検査は男性専用のクリニックもあるそうです。
男性専用クリニックであれば、噂の採精室をお目にかかれたかもしれませんね。
シナモンスティック食べてみた
コメダ珈琲店でシナモンウインナーコーヒーを頼んでみました。
コーヒーについてきたこのシナモンスティックとやら何に使うの?
わからんからとりあえず食べてみた。
コーヒーと一緒に出てくるくらいだからまぁ食えるだろうと。
勢いよくかじってみたところ硬い!めっちゃ硬い!
そしてマズイ!苦い!口のなかがパサパサして気持ち悪い!
シナモンの味と香りはかすかに感じられますが、シナモンパウダーに比べたら香りも薄いし、苦さのほうが上回る。
うん、食べるものじゃないな、これ。
シナモンって木ですからね。木の樹皮食べてるんだからおいしいわけないですよね。
やっぱり、ただの混ぜるための棒みたいです。
香りつきのマドラーですね。
シナモンスティックについてちょっと調べてみると
では「シナモンスティック」そのものは食べても大丈夫なんでしょうか?「頭痛緩和などの用途で漢方にも使われているから食べても大丈夫」「1本くらいなら」という意見もあるようですが・・・。答えは「やめておいたほうがいい」です。
もちろん、スパイスとして少量ずつ摂ることには、問題もなく効果を得ることができるはずです。数千年の歴史がありますよね。でもスティックをガリガリかじるような過剰な摂り方に対する結果のデータはとられていません!なかには、肝障害のリスクがあるとの報告も!香りの成分、「シンアムアルデヒドは胎児に良くない影響がある」という動物実験もあるそうですよ。
うわっ、食べちゃいけないもんだった…
ひとかじりにしておいて良かった。
みなさんもシナモンスティックを食べるのはやめましょう!
OracleのDBLINKとDataPumpを利用してデータ移行をやってみた
たまには技術的な記事も書いておこうかなということで。
今回は意外と苦戦するOracleのDBLinkを使ったデータ移行の手順を書いてみようと思います。
OracleDBのデータ移行の手法
まず、データベース間のデータの移行のやり方は以下の3パターンがあります。(※オリジナルEXPORT、IMPORTはほとんど使うことがなくなったので割愛)
①EXPDPコマンドで移行元サーバにdumpfileを出力する方法
②DBLINKを使って移行先サーバにdumpfileを出力する方法
③dumpfileを出力せずにDBLINKを使って移行先に直接データをインポートする方法
DBLINKを利用して移行先のデータベースに直接インポートする手順
今回私が試してみたのは③のDBLINKを利用して移行先のデータベースに直接データをインポートする手法です。
メリットは中間生成物であるdumpfileを出力する手間がいらないということ!
dumpfileを出力するだけの空き容量がないという場合にも有効な手法ですね。
早速、具体的な手順に入っていきましょう。
移行先データベースのtnsnames.oraに移行元データベースへの接続情報を記述
移行先データベースのtnsnames.oraに移行元データベースの接続情報を追記します。IPアドレス、ポート番号、サービスネームは移行元データベースで設定した値を記述してください。
(DESCRIPTION =
(ADDRESS = (PROTOCOL = TCP)(HOST = 移行元サーバIP)(PORT = 1521))
(CONNECT_DATA =
(SERVER = DEDICATED)
(SERVICE_NAME = orcl)
)
)
移行先サーバにログ出力先ディレクトリを作成
ログディレクトリの作成
SYSユーザーでディレクトリの割り当て
SQL> create directory IKO_DIR as 'D:DATA_IKODATAPUMP_DIR';
移行先のインポート実行ユーザーへの権限割り当て
移行先でインポートを実行するユーザーに各種権限、ロールを適用する。
インポートモードがデータベース全体の場合、インポート実行ユーザーに
datapump_imp_full_databaseロールが必要です。
SQL> grant read, write on directory IKO_DIR to impuser1;
SQL> grant create database link to impuser1;
SQL> grant datapump_imp_full_database to impuser1;
移行元のエクスポート実行ユーザーへの権限割り当て
移行元でエクスポートを実行するユーザーにdatapump_exp_full_database
ロールを適用する。
移行元で実行するインポートモードがデータベース全体の場合、エクスポート
実行ユーザーにdatapump_exp_full_databaseロールが必要です。
SQL> grant datapump_exp_full_database to expuser;
移行先のインポート実行ユーザーでデータベースリンクを作成
移行先でインポートを実行するユーザーで接続して、移行元データベースに接続するためのDBLINKを作成します。
移行先でログインするユーザー名/パスワードを記述してください。
SQL> create database link DBLINK_OLDDB
2 connect to expuser identified pass
3 using 'OLDDB';
データベースリンクの移行元データベースへの接続確認
データベースリンクに接続して移行元テーブルのデータ数を確認します。
移行元サーバで確認したデータ数と同じであることを確認してください。
SQL> select count(*) from 移行元テーブル@DBLINK_OLDDB;
移行先でインポートを実行
移行先でimpdpコマンドを実行しますデータベースリンク名はnetwork_linkに記述します。
インポートモードはデータベース全体(full=y)としていますが、用途によって変更してください。
まとめ
一応、上記手順でデータベース全体のインポートはできた。
しかしデータベース全体をインポートした結果、パスワードファイルが変更され、SYSユーザーのパスワードがデフォルトのchange_on_installになってしまうという不思議な現象が発生しました。
また、スキーマ単位で直接インポートも試みたが、なぜかうまくいきませんでした。
直接インポートする方法は便利だけど、いまいちうまく使いこなせないのは私のスキル不足かな。
まだまだ勉強が必要ですね。
Googleフォトの編集機能を使って、曇り空を晴天にしよう
旅行に行ってもデジカメすら持っていないので、スマホのカメラでパシャパシャするような男です。
そんなカメラ素人の私が、めんどくさい技術なしにいまいちーな写真をちょっとイケてる写真に加工するテクニックをお教えします!
Googleフォトの編集機能
わざわざ写真加工アプリをダウンロードするのも面倒くさいというみなさん、Googleフォトの編集機能で十分ですよ。
今回はいまいちインスタ映えしない曇り空を晴れの日に撮ったかのように編集する技術をお伝えします。
以前、バリ島の旅行日記を投稿しましたが、実はバリ島で過ごした4日のうち快晴だったのは1日だけ!
それ以外の三日間は曇っていました。
バリ島の記事の中で投稿したこの写真、実は元はこんな感じでした。
<加工前>
加工前の写真はプールの水の色も芝生の色もくすんでいるけど、加工後の画像は色鮮やかで雑誌とかに掲載されているリゾート地の写真みたいですよね。
それでは早速やり方を紹介します。
Googleフォトのバザールで曇り空を晴天に
①Googleフォトで加工したい写真を選び、鉛筆のマークを押します
②写真のデザインをバザールに変更
③あとは明るさとかカラーを調整して終了
なんともお手軽に曇り空な写真を日差しの強い晴天のような写真に早変わりさせることができました。
その他、バザールによって晴れに変化させた写真をいくつか紹介します。
こちらはブタペストの写真。ちょっとモヤーっとしてた空が見事に青々としています。
続いて、こちらもグレーの雲で覆われた鎌倉の海の写真も空と海が青々とした写真に変化しました。
バザールの加工はいろいろ試してみましたが、写真がとても鮮やかになるので、強い日差しを受けた夏の写真のような雰囲気になります。
空や海や木なんかと一緒に撮ると相性がいいのではないでしょうか。
夏の季節にぴったりなバザール加工を是非みなさんもお試しください。